先生になると決めたときのこと

 うちの長女は小さいころからずっと「コーヒー屋さんになる」と言い続けてきました。その夢をもうじきかなえる予定です。次女はと言えば、小さいころは「CAになる」と言ってましたが、思いのほか背が伸び悩み、「先生でいいや」と失礼なことを言うようになり、昨日は「社長になる」って言ってました。どうやらおじいちゃんの会社をのっとるつもりらしいです(笑)

 私はと言えば、小さいころパイロットになりたかったのですが、当時は女子はなれなくて、夢を見るのはあきらめてしまいました。何もなりたいものがないまま、とりあえず大学の経済学部に行って、OLになるんだろうなあと思っていたのですが…。

 高校の先生に半分だまされて(先生ごめんなさい)、教員養成コースに進んでいた私は、教育実習しなければ卒業できない状況でした。申し訳ないですが、仕方なく恩師を頼って高校に教育実習に行き、高校・大学の先輩でもある先輩教員に指導教官になっていただき、まあ単位は安泰という感じだったわけです。

 そんな私でも、当時2年生だった生徒たちは、とても優しく温かく迎えてくれて、「ゼッタイ先生になって戻ってきてね」と涙ながらに別れました。本当に大変だけれど、夢のような2週間でした。途中で念のために手にしていた採用試験の申込用紙にあわてて記入して、締め切りギリギリに申し込みをして、睡眠時間3時間、21時間勉強して、合格することができました。それどころか、実習に行った学校で、3年生に進級した生徒たちを正規の教員として教えることができました。神様に感謝しました。

 留年していた私の22歳の6月、私は先生になると決めました。チャンスは1度。ダメだったらすっぱりとあきらめて、大学院に進むか就職活動をする(まだしてなかった…)。そう決めたあの時が自立のときでした。

 それまで、なかなか将来のことを決めきれないでいた私を、当時、両親はかなり粘り強く見守ってくれました。うちの両親のえらいなあと思うところは、ちゃんと子どもの事を見守ってくれているところです。最後の決定は必ず自分でさせてくれるところ。口を出さないところです。だからって放任ではないのが、信頼して待っててくれているのが伝わってくるところです。私もそうなりたいと、常々思っているのですが、ついつい口を出しそうになるんですね。難しいです。

倚りかからず

 「自分の感受性くらい」という詩で有名な茨木のり子さん。私の大好きな女性の一人です。その茨木さんの詩に「倚りかからず」というのがあります。

 「自分の…」もそうですが、この詩も「自立」を強く潔くつづった詩で、この詩を読むたび、私はまだまだだなあと、胸が痛くなります。

 椅子の背もたれ以外には、どんな思想にも宗教にも学問にも権威にも倚りかからず、自分の二本の足で、しっかりと立てるように、自分をしっかり見つめていきたいものです。私も50過ぎましたから、そうでなきゃね。

 

倚りかからず (ちくま文庫)#わたしの自立

 

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家を追い出されたこと

 わたしの自立ですか。私は小・中学校はもちろん自宅から通い。高校も父の車で自宅から通い。大学も自宅から自分の車で通い。就職してからも自宅から通いました。炊事も洗濯もお掃除もほぼ母任せ…。就職してからはほんの少しお金を入れていましたが、それを言い訳にして、家事には一切手を出さずといってよい大人になっていました。

 以前ブログにも書いたように、あわよくば結婚せずのんびりと過ごそうと思っていた私の心の内を見透かした父に「お前出ていけ」って言われました。それが、26歳でした。

 家を建て替えることにした我が家は、私が空いていた教員アパートを借りて、同居することになりました。新築の家に引っ越しの荷物をまとめていた私に父が言ったのが先ほどの言葉です。このまま母と暮らしていると私はきっと結婚しなくなると父は思ったんだそうです。ということで、一人で教員アパートに住み続けることになった26歳が私の自立の瞬間ですね。

 電話・電気・ガスの契約。年に数回のアパートの掃除に自治会。今まで私が全くタッチしてこなかったあんなことこんなことに、振り回され、毎日の食事に始まる家事全般も苦痛で苦痛で、更に結婚なんかしたくないと思ったものです。全く自立していない26歳の私でした。お恥ずかしい…。

9月最後の日に

 9月が終わります。いつものいきます。

 まずは喜んだこと。これはもう長女の活躍ですね。2018年第7回スペシャルオリンピックス日本夏季ナショナルゲーム・愛知のフライング・ディスクのアキュラシーで金メダル、ディスタンスで銀メダルをいただいたことです。予想以上の天気で、体温調整に問題のある長女が最後まで参加できるのか不安でしたが、他の参加者の方やボランティアの方にもたくさん声をかけていただいて、思いもかけないよい成績を収めることができました。

 怒ったこと。そんなに怒っているわけではないのですが、今回の愛知での大会では、とてもたくさんのボランティアの方が、とてもよくしてくださいました。何となく東京五輪パラリンピックが近づいていることを感じさせるものでした。ありがたかったし、心強かったです。そんな中、競技者をスペシャルオリンピックスではアスリートと呼ぶのですが、アスリートである長女はボランティアで帯同しているコーチやスタッフとともに家族と離れて、宿泊施設に泊まっていました。食堂はあっても食事を提供する施設が無いようで、朝は2日ともハンバーガー(娘は大喜びでした)、昼も夜もお弁当だったそうです。すべての施設がそうであったわけではないそうですが、アスリートはもちろん帯同するコーチやスタッフにとって十分なものではなかった気がしてなりません。宿泊中は布団の上げ下ろしや荷物の上げ下げなども細やかに配慮してくださっていたボランティアスタッフに感謝していただけに、食に関しては、とても残念に思いました。主催者側の細やかな配慮が必要だったと感じています。

 哀しかったこと。9月に入ってとっても体がだるいことかなあ(笑)今年の夏があまりに暑くて、疲れが取れない!ようやく涼しくなってきたので、私の元気も復活することでしょう!

 楽しかったこと。開会式で、GLAYのTERUさんとサンプラザ中野くんの生歌が聞けたことですね。旅の疲れがすっかり取れました。閉会式でも歌われたようで、聞きたかったなあ。そうそう、リニア・鉄道博物館も楽しかったです。大宮とさいたまにも行きたいと思っています。

手帳ってとっておくもの?

今週のお題「わたしの手帳術」。

 いつからか、疑問に思っていました。1年間使った手帳をみんなは捨てているのか保存しているのかを。

 実は私は教務手帳は捨てずにとってます。30冊全部です。見直すことなんてありませんが、きれいに並べて。最初の頃の手帳には、PC化されていなかった時代ですから、成績なんかもばっちり書いてあるので、なくしたら大変ですね。こわいこわい。個人的な手帳も取っておく派です。

 そんな中、一番大事にしたかった手帳を私はなくしているんです。2人の娘の母子手帳です。長女に関しては、未熟児で障害を持って生まれたおかげで、母子手帳にはびっちりと成長の記録が残されていたのに…。次女が4歳の時、長女の通院後、英語塾の前にほんの3分車を止めていた間に、保険証や病院カードやなんかと母子手帳を入れた通院用の小さなバックが、バックごと盗まれてしまったのです。お金なんて小銭が入っていたのかいないのか…という感じだったので、泥棒さんもさぞがっかりして、バックは海にでも捨てられたのでしょう。悲しくて情けなくて。今これ書いていても泣けそうです。

 保険証も病院カードも再発行していただきました。母子手帳も再発行していただいて、予防接種の記録は、医大と小児科で確認して記録していただきました。本当にありがたかったです。でも、娘たちの成長の記録や私の育児記録は戻ってきません。

 私が手帳を処分できないのは、やはりそこにいろいろな思い出が詰まっているからですね。見た映画やミュージカルの半券も貼ってあったり、事故にあったり入院した日の記録や領収とか…。いろんなものも挟まっています。

 今でも手帳にはいろいろなことを書いたり、はさんだりしています。アプリのスケージュール管理と手帳の併用はまだまだ続きそうです。

学生じゃないけどNOLTYスコラ使ってます。

 

今週のお題「わたしの手帳術」。

 教員になって、毎年4月には教務手帳、俗にいう閻魔帳を使っています。最近は成績関係はコ ンピュータで入出力することが多いので、日々の提出物や居眠りしてる生徒のチェックなんかに使っているくらいです。もちろん気になる生徒の事も記録したりしているので、とっても重要で大切な手帳です。だからこの手帳に自分の個人的なスケジュールは書きません。

 個人的には、スマホタブレット・PCでジョルテをもう何年も使っています。仕事の事を細かくそこに入力するのは、どうしても抵抗があるので、仕事の事も個人的なことも記入するために毎年1冊手帳を使っています。

 数年は、スクールプランニングノートを使っていたのですが、ほとんど書かなくなって、大きいし…。で、2年ほどティーチャーズログというこれも先生用の手帳を使ってみました。でも、結局大きくて、書かなくなって…。

 現在は…高2の次女が高校に入学するタイミングで、ずっと気になっていたNOLTYスコラを使わせたいと思い、思い切って3種類全部買いました。次女に1冊選ばせて、私が選んで、残りは長女が使っています。サイズ感がいいです。生徒用なので、校時に区切ってあるし、意外と使いやすいです。表紙が真っ白なんですが、長女も次女も大好きな嵐や俳優さんの写真を貼ったり、絵を書いたりと、自分の手帳を作っています。私は日課表を表紙に貼って、裏はエジル選手の写真を貼ってます。

 小・中は連絡帳やノートで行事や持参物など学校からの連絡や時間変更をメモしていたのですが、高校ではそういったノートはなく、メモしたり記録したりする癖はついていたほうがいいなあと思っていた私は、ネットで見た高校生のためのビジネスノートNOLTYスコラをいつか生徒に使わせてみたいなあと思っていたのです。その前に娘や自分が使うことで、何かわかるのではないかと、現在使用中です。

 2年目になりますが、生徒用ということで、私が使うことのないページももちろんありますが、やはりこのサイズ感がいいです。軽いし。いろいろとカスタマイズできる点もいいと思います。次女は、勉強時間の記録もちゃんと使っていたりして、スコラらしく使っているみたいです。あと1年は一緒に使っていこうと思っています。中学生・高校生のための手帳の使い方

愛知には長女の応援に行ってきたんですが…

 せっかくの名古屋なので、少しばかり楽しんできました。初日の夜は、ご一緒した他の選手のお母さん方と、親交を温めつつ、名古屋飯手羽先とどて煮でビールをおいしくいただいてしまいました。どちらも非常においしくて、誘惑に負けて、お母さん方と帰り道に風来坊に並んで手羽先を購入してしまいました。

 翌日はお昼にあんかけパスタと、ぴよりんというかわいらしいケーキをいただきました。競技のために人里離れたロッジで、粗食に耐えている長女やコーチの方々には申し訳ないと思いつつ、これもどちらもおいしくいただいてしまいました。

 午後は予選が終わったので、思ったより時間が空いてしまいました。ずっと行きたかったリニア・鉄道博物館に行ってきました。2時間満喫し、帰りには長女がとても行きたがっていたレゴランドの入り口まで行って、写真を撮って送りました。いつか一緒に行こうねとコメントを添えて…。鬼母だ…。長女はとっても喜んでくれました。入場料高いけど頑張ってためておこうと思います。

 リニア。鉄道博物館では、リニアのじそく500キロを体感したり、リニアの仕組みや新幹線の歴史を興味深く見てきました。私の大好きな新幹線つばめはもちろんないのですが、特急つばめが置いてあり、とてもうれしかったです。

 そうそう、大会の開会式にはサプライズでGLAYのボーカリストTERUさんが大会応援歌を発売前なのに手拍子で歌ってくださったり、サンプラザ中野くんがランナーを歌ってくださったりと私たち母親世代にはたまらない式となりました。ただ、閉会式もTERUさんが来てくださっていたのに、噂ではミーシャさんが来てくださるのではという話もあったりだったのですが、途中で帰らないといけなくて、悔しかったです。

 でも、3日間とても充実して楽しい思い出を作ることが母子ともできました。地下鉄の駅でフラフラになってエレベーターに駆け込んだ時、笑顔で順番を譲ってくださったお姉さんたちをはじめ、愛知のみなさんありがとうございました。お世話になりました。