父のこと(1)

  私の父は、10年まえの今日65歳で亡くなりました。

 兎に角、破天荒でわがままで変な人でした。農家の7人きょうだいの6番目、次男坊として産まれ、小さい頃は注射が嫌で隣町まで走って逃げただの、農業高校に行きたくなくて、受験をすっぽかしたり…。まあ小さい頃からやんちゃで有名だったそうです。

 12歳上の姉夫婦が長崎でその15歳のやんちゃ坊主の面倒を見ることになるわけです。造船所で働くものの、中卒だと馬鹿にされ、相手をボコボコに、自分もボコボコにされ、内臓破裂九死に一生を得たそうです。そのときの輸血が元で肝炎になるんです。

 その後、友人の受験についていった自衛隊の試験になぜか父だけが受かり、北海道へ!根性のない父は現場ではなく事務職へ。祖父母も姉たちもとても心配だったんでしょう、そこへ送り込まれたのが、祖母同士がいとこの私の母だったそうです。

 自衛官になってから、父は札幌で夜間高校に通ったそうで、4年生のときに私が生まれました。1月生まれだったので、卒業試験の最中、自作の哺乳瓶保持機で私に授乳していたそうです。バタバタする私のせいで授乳機はズレて私の額に炸裂!私の額には三日月形の傷が今でもあるんです。娘を傷ものにして!

 その後故郷の佐賀に戻りたくても空きがなく、九州に一番近いという理由だけで山口県を赴任地に選び、54歳まで勤めました。自衛官って退職が早いんですよ。それでも父は、前年の方々は53歳までだったのに突然自分の代から54歳になって、悔しくて泣いてました真面目に…。退職後は再就職して大好きな将棋なんかして、孫の相手もしてくれて、楽しそうでした。その分母は大変そうでしたね。父と過ごす時間が増えて、元々趣味も話も合わない2人でしたから、大変そうでした。

 63歳で胃がんが見つかり、2年ほどの闘病でした。私たちにとっては、父の体をいたわりながら、思い出を紡ぎながら過ごせたと思いますが、父は注射も痛いのも大嫌いな人だったので本当に辛かっただろうなと思います。私たち家族のために痛みに耐えてくれたと思います。

 亡くなる1週間前、今でこそ早くからランドセルの販売をしていますが、当時はまだ販売がようやく始まったばかりだったランドセルを、今は高校生になった次女のために買ってくれました。次女にとっておじいちゃんからの最後のプレゼントになりました。娘はそのランドセルを大切に6年間毎日使っていました。今は小学校の思い出の品を詰め込んで思い出箱として保管されています。

 父との想い出は1度ではとても書ききれません。またの機会に…。