明日はないかもって思いながら働いたこと。(その2)

 働きながら夜間の大学に行き始めて、学ぶことのたのしさを再確認し、もっと勉強して生徒に自信を持って教えたいと思うようになりました。休職して大学院に進学したいと思うようにもなりました。

 しかし、縁あって4年のときに結婚することになりました。そして、卒業前に長女を出産しました。4年ではほとんど卒論だけだったので、大学に行くこともほとんどなく、産休のときに卒論を提出し、卒業しました。大学院には行きませんでした。

 長女はダウン症で、心臓にも障害があり、入退院を繰り返していました。育休だった私は、誰に言われたわけでもなく、教員には戻れないと思っていました。ところが、1年の育休が終わる頃、主人や両親に、みんなで協力したら仕事辞めなくていいんじゃないかと言われ、できるところまでやってみようということになりました。

 昼間の入院の付き添いは両親や私の妹が、夜は仕事が終わった私が交替するという日々が続きました。仕事をしていても、長女の様態が悪くなれば職場から5分で行けるとはいえ、病院にかけつけなければならないときもあります。自然と日々の仕事を積み残さず、急に休暇をとらなければならなくなったときのために、仕事の進捗状況や内容がすぐに分かるように、引継がいつでもできるように仕事をするようになりました。私の中では「娘に何かあったら、明日は仕事を辞めるかもしれない。」なぜかそう思いながら毎日仕事をしていました。職場の机には最低限のものしか置かず、書類などはすぐに分かるところに整理して置くようになりました。

 それは、私にとって大きな「転機」でした。「明日はないかも」って思いながら働いていた数年の私は、同時に、「私ってこの学校の役に立っているんだろうか?」そういう不安も持っていました。休みがちな私は担任が持てず、生徒には絶対に迷惑をかけたくなくて、授業はどうにか頑張っていましたが、大きな仕事も任せてはもらえない。このまま仕事を続けて行けるのかとても不安でした。

 そんな中、不足していた「情報」の教員免許を通信制大学で取得し、「司書教諭」の資格も家族の協力で取得することができました。長女の付き添いの時間が貴重な学習の時間となり、不安な気持ちも勉強をしている間は忘れられた気がします。この2つの資格は今の私に大きな力を与えてくれています。

 私は、いつかできると思うとなかなか決断できないタイプなので、この追い込まれた状況がよかったのかもしれません。