「ふるさと」と言われると

 俗に言う転勤族な家族に育った私は、両親は佐賀県出身でありながら、札幌で生まれ、山口県に40年以上住んでいる。「私のふるさと」は、今では小・中学校を通った秋吉台かなあって思います。

 実は「ふるさと」を強く感じたことが2度あります。1度目は大学に進学するときです。両親は自分達のふるさと佐賀をきっと大事に思っていたんだと思います。それまでずーっと籍は佐賀の父の実家にあったそうです。私が高校に行くとき、戸籍が必要になり、祖母が役所に取りに行ってくれていたそうです。年取った祖母に頼むのも心苦しいので、と妹の高校進学と私の大学進学が重なったときに、戸籍を今の実家の住所に移したそうです。その話を母から聞いたとき、私は「なぜ、勝手なことをするのか。なぜ相談してくれなかったのか。」と涙ながらに怒りました。なぜだか涙が出てきました。私はやっぱり佐賀県民だってその時思ったんだと思います。

 2度目は教員採用試験を受けるときです。佐賀県を受けるか山口県を受けるか自然と迷ってしまいました。長く山口に住んで、山口の大学を卒業するのにです。自分でもとても不思議でした。

 佐賀には毎年年末年始とお盆に帰省し、お墓参りに行ったり、餅つきをしたりしました。佐賀に帰ると山口とは違う懐かしい匂いがします。田んぼに囲まれ、周りに山のない佐賀平野のど真ん中にある祖父母の家は、親戚が何人集まっても大丈夫なとっても大きな家でした。有明海で取れた新鮮な魚と、農家でもあった祖父母の作ったお米や玉ねぎをはじめとする野菜で、食卓は御馳走が並びます。祖父母が亡くなると、帰省することはあまりなくなってしまいました。私の魂は佐賀なので、佐賀に行くと今でも嬉しいです。私にしか感じない匂いがするんですね。