わたしと英語②

 大学は経済学部だったので、第2外国語まで履修が必要でした。英語は必修で、第2外国語に漢字だからと中国語を取ってしまいました。これが悲劇の始まりで、結局語学の単位が1つも取れないまま半年が終わりました。後期にはどうにかギリギリ単位を取りましたが、必修を前期に落としていたので、半年留年することに。ここで、ちゃんと前期分を取ってしまえば問題がなかったのですが、わたしの英語嫌いはピークに達して、結局英語も中国語も落としてしまって、留年が決定しました。

 掲示板の留年者の一覧で自分の番号を見たときは、心がピキッと音を立てました。楽観主義者だと自分は思っていて、少々の事ではくじけないと思っていたのに、わかってはいたことなのに、涙が出て、情けなくて、家族に申し訳なくて車でずーっと泣いていました。友達が慰めてくれたけれど、素直に受け入れることもできず、幼くて馬鹿な私は、大学にも行かなくなりました。

 勝手に同じくらい英語ができないと私が思っていた友人がちゃっかり単位を取っていることに気付き、いろいろ話をしてみると、「単位が危なそうな子はみんな先生に頼みに行ったよ!私も行ったし。」と。先生はレポートを別に課してくださったようです。そう言えば私も誘われたような…。そんなことで単位が貰えるなんて思ってもいなかったので、無視したんでしょうね私は。

 大学を辞める決心はつかなかったので、英語の担当だったN先生を思い切って尋ねました。留年してしまったけれど、次は必ず単位を取って卒業しようと心を決めて。N先生は友人の言った通りとても優しく、どうしようもない私のために時間を割いて、中学の教科書からおさらいしてくださいました。ほぼ毎日午後4時から30分くらい。その後私はお礼として教官室の本棚の整理をしました。膨大な量の英語の本をアルファベット順に並べるという仕事です。

 あの時、先生に手を差し伸べていただけなかったら、今の私は確実にいません。感謝しかありません。英語を嫌いにならずに済んだのはすべて先生のお陰です。「いつかまた英語を学びたい。」英語嫌いだった私を変えてくれました。

 先生は最後の日に「英語の先生なのにおかしいけど…」と「論語」を読むように勧めてくださいました。今でも手元には何冊かの論語の本があります。迷ったときは自然に手が伸びる1冊です。

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