子供のころの父との思い出

今週のお題「お父さん」

  私の父は13年前に亡くなりました。典型的な元ヤンの父は、持ち前のバタ臭い顔といつも睨んでいるような目を大いに生かし、自衛隊の募集員(私たち家族は人さらいと呼んでいました)をしていました。子どものころ父と商店街を歩くと怖い顔のお兄さんたちがみんな父に挨拶をするという体験から、父はいったい何をしてきたんだと不思議に思い聞いてみても絶対に自分の過去を話すことがない父でした。きっと子どもに話せる昔話など持ち合わせていなかったのでしょう。

 父は11人兄弟の下から2人目で次男という微妙なポジションに生まれたばかりに、元来の頭の良さもルックスの良さも悪いほうにしか活かせなかったらしく、父の姉たちから聞かされる父の昔話は驚きの連続でした。

 一番よく聞かされたのは、父の肝っ玉の小ささを存分に表現したお話です。小学生の時、注射が嫌で、隣町まで走って逃げていたそうです。その足の速さは、私たち子どもの学校の学年対抗PTAリレーで存分に活かされました。6年間ぶっちぎりで1位でした。注射が嫌いなのは大人になってからもだったらしく、走って逃げなくなっただけいいねとおばさんたちが笑って話していました。父は自分が注射されるのはもちろん、人が注射されるのを見るのも嫌いだったらしく、4人いる子どもの予防接種には一度も立ち会わなかったようです。まあ一応仕事だと言ってましたが…。

 父は子どものまま大きくなったような人でしたから、我儘で天邪鬼で頭に血が上りやすい性格でした。ただ、意味もなく手を挙げることはありませんが、長子で父親譲りの天邪鬼の私は、長い物差しでよくたたかれていました。父を論破する私に腹が立っていたみたいです。父が本格的に暴力をふるっていたらきっと大変なDV被害にあっていたでしょう。ラグビーとボクシングをしていた父に鉄拳を振るわれていたら、今頃生きてはいないでしょう。

 父は18歳の時、中卒なのを馬鹿にされ、職場の先輩をボコボコに殴り、自分もボコボコにされて、お互いが内臓破裂になるという家族を震撼させる事件を起こしたことがあるそうです。一歩間違えれば少年院行きです。それ以来自分の怒りのエネルギーを調整する、アンガーマネージメントを自分なりに実践してきたのだと思います。

 私は父のそんな血を引いていることをとても恐ろしく思っていました。いつか自分も怒りで他人を傷つけてしまうかもしれないという根拠のない恐怖におびえていた私です。