仕事と子育て②

 決して軽くはない障害を持った長女のそばで、育休が明ける3か月前の8月、義母が私に「いつから職場復帰するの?」と聞きました。そろそろ職場に復帰が難しいと連絡に行かなくてはと勝手に思っていた私は、驚きましたが、そう思っていたのは私だけでした。義理の両親も私の両親も仕事をしながら育てるのは大変だけど、協力するし、だめだったら仕事辞めればいいんじゃないの?と言ってくれました。

 結局職場復帰しましたが、両立は本当に想像以上の大変さでした。最初こそ職場復帰できた喜びと感謝で、早起きして夕食まで準備して、仕事を持ち帰りながら両立していましたが、1年の半分は医大に入院する長女の付き添いをしながら、朝は医大から出勤し、家に帰って家事をして、7時には付き添いを交替して、持ち帰った仕事をしながら長女の容態を案じる日々は、周りから見ればかなり異常な状態だったでしょう。でも、本人は「頑張らなくては!」という思いだけで、辛いとも大変だとも思うことなく、3年の日々が過ぎていきました。

 少し長めの入院から久しぶりに自宅に帰ったある日、入院前のままの家の様子に何だか自分の中の何かが壊れました。疲れ果てた体で無言で家を片付け、夕食を作りながら、涙が出てきました。なぜか、「何で誰も褒めてくれないんだ。頑張ったねって誰も言ってくれないんだ。」という思いがこみ上げてきました。自分でも褒められたいなんて思っていたことが意外でした。主人に当たり散らし、訳の分からない主人も無口になって、せっかく退院した長女もまた入院してしまい、溝が深くなっていきました。きっと主人もつらかったでしょう。

 でも、その頃から割り切って、長女と仕事を主に、自分と主人は時々で、家は危険じゃなきゃいいやと考えるようになりました。仕事では迷惑をかけてばかりでしたが、付き添いの時間に勉強をして通信制で情報の教員免許を取ったり、司書教諭の資格を取って、職場で必要な人材になれるように時間をかけました。主人も両親も協力してくれて、その2つの資格は今でも私のセールスポイントと言ってよいでしょう。

 ピンチの時はチャンスがあると言いますが、家庭という単位ではちょっと大変な時期だったのですが、仕事や長女の療育という面で家族が協力できたことが今につながっていると思います。1つほころびても、周りの何かで補強すればどうにかなるものです。職場や子育ての援助が私の心を支えてくれました。

 当時、病院から突然呼び出されたり、付き添ったりと職場に迷惑をかけてばかりだった私が職場の先輩にかけて頂いた言葉が今でも心に響いています。「与えられた場で精いっぱいやったらいい。」あれもできないこれもできないとできないことばかりに目がいっていた私の焦りに先輩が気付いて声をかけて下さったのです。当時は先輩もご自分が思いもよらなかった大役を任せられて、うまく職場をまとめきれないジレンマを抱えておられたのだと思います。今の私が丁度そうですから。

 ずっと後に本で「置かれた場所で咲きなさい」の文字を見たとき、先輩の言葉と重なったものです。

働くパパママ川柳×はてなブログ 特別お題キャンペーン #仕事と子育て

働くパパママ川柳×はてなブログ 特別お題キャンペーン #仕事と子育て
by オリックスグループ