先生に会いたいなあ

今週のお題「会いたい人」

 4月からハングルの勉強を始めました。正確に言うと、28年ぶりに再開しました。

 1988年のソウルオリンピックに全日本バレーの追っかけをするにあたり、初海外旅行の私は、相手国の言葉の一つもしゃべれないとねという軽い気持ちと、オリンピックの影響で始まったハングル講座が、何だか私を誘っているような気がして、1987年21歳の私は、バイト代をはたいて行くことにしたのです。4月に始めて、1年半勉強して、ソウルに行きました。

 初めてハングルを習ったのは、デパートの4階のカルチャーセンターです。夜7時から、1時間。メンバーは、県庁の土木課の40代のおじさんと、国際交流センターの30代のお姉さん、個人会社の60代の社長さんと大学生の私でした。最初はもっといたかもしれないけれど、最後まで残って真面目に頑張ったのはこの4人。先生が私と同じ経済学部の現役の留学生だったのでとても驚きました。先生のチェ(崔)さんは、とても面白く優しく私たちにハングルや韓国の事を教えてくれました。このカルチャーセンターのハングル語教師はどうやら私の大学の留学生が代々引き継いでいるようで、このチェさんの前の先生もチェさんで、時々一緒にご飯を食べたり遊んだりするようになりました。前のチェさんがとても背が高かったので、大きいチェさん、今の先生を小さいチェさんと呼んで、3年勉強しました。

 4年目に、イ(李)さんに先生が変わり、カルチャーセンターの講座が終わることに…。県の土木課のおじさんに誘われて、国際交流センターのお姉さんと3人で、毎週大学の国際交流会館に住むイ先生のお宅で勉強を続けることになりました。扉を開けたら日本語禁止のそれはそれは厳しいレッスン…。でも、飛躍的にしゃべる力と作文力がついたと思います。イ先生の結婚式にもみんなで行きました。韓国のアンドン(安東)の田舎で、日本人を初めて見たという人が私たちを見に来たり、韓ドラの時代劇さながらの本格的な結婚式を体験することができました。

 通算7年。私が転勤してしまい、その後どうなったのかわかりませんが、忙しさと私の不義理とで、音信不通になってしまいました。人生最大の失敗と思っています。

 小さいチェさんは名古屋大学の大学院に進学し、今はどこかの教授かな?大きいチェさん、イさんはどうされているんだろう?韓国に行ったときはとても手厚く歓迎していただいて、「韓国の人はみんなこんなに?」と私が申し訳なさそうにすると、「日本に韓国の人が行ったときお返ししてくださいね。」と笑いながら皆さん返してくださいました。今でも、私はその言葉忘れていませんよ。

 先生たちがお元気で、いつか会えたらなあ。とハングルの勉強を再開した今つくづく思うのです。