私の勉強法(プログラミング)

  私がプログラミングと会ったのは、高校2年の時です。タイピングが他の子よりちょっと早かったので、学校で理科の先生に呼び止められました。当時は高校にパソコンは2台とか3台くらいしかない時代です。「これをパソコンに入力してほしい。」そう言って先生は謎の暗号を私に手渡しました。よくわからないまま入力すると、パソコンから音楽が流れ始めました。「わーーー」っと驚いている私に、先生は続けて「じゃあ、校歌を入力して、文化祭で展示して。」と言いました。書き方のルールを読み解きながら、校歌の楽譜を入力していました。「ド」が「C」で「四分音符」が「4」とか…そんな感じです。今から思うとBASICのMMLだったんだと思います。先生は全く教えてくれませんが、サンプルプログラムと説明書を見て、バグ取りながら作りました。文化祭では誰も見てくれませんでしたが、私はその時にプログラミングの魅力に取りつかれたんだと思います。

 次にであったのは、大学でのFORTRAN77です。宿題は友人任せでしたが、入力は誰よりも早かったので、実習は大好きでした。教員になってからは、COBOL、C、VBJAVAを授業ではやっていましたね。最近はグリコード、ドリトル、スクラッチといった簡易なものやPythonC++も趣味でやってきました。

 プログラミングを勉強してきて、また、指導してきて大切なのは実習。実際にプログラムして、バグ取ってみて…を繰り返すことかなあと思います。思った通りの結果出たときが一番プログラミングが楽しい!んー難しい数学の問題をすっきり解けた時と似ています。

 また、1つの言語をしっかり修得してしまえば、読みかえていくことで他の言語にも取り組みやすく、修得しやすくなります。私の場合は、教員になって初めてCOBOLを教えることになって、泣きながら教科書で勉強しては教える…自転車操業で、生徒に実習をさせまくり、バグを取りまくりで修得しました。その後社会人入学した工学部と情報学部で、CとC++をe-learningでしごいてもらって今の私があります。今は、サイトでの学習もできますが、私はついついさぼってしまって、なかなか進みません。必要性に駆られ、押し付けられないと身に付かない質です。

 子どもたちにプログラムを教えるときに一番大切にしているのが、アルゴリズムです。プログラマーを育てているわけではないので、アルゴリズムを考えて、デバッグして…っていうのがプログラムの醍醐味だと思っています。っていうか、アルゴリズムを考えているときが私自身一番楽しい♪

 今は、支援学校に勤めているので、今年は前から気になっていたグリコードを教材に選びました。ポッキーを使うんですが、パソコン教室にポッキーは持ち込めないので、グリコから印刷したポッキーを送っていただき、迷路をたどって友だちを助けるプログラムを組みます。タブレットで、撮影して、すぐに結果がわかります。うまく行かなかったら、訂正して再チャレンジです。子どもたちは夢中になります。

 プログラミングの楽しさを体験したら、次はPythonで少し本格的にプログラムを組んでみます。サンプルプログラムを少し変更しながら、プログラミングを楽しみます。

 私自身が歩んだ道が正解だとは思いませんが、興味が沸けば少しくらい難しくても頑張れると思っています。興味を持つって大切です。

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by ギノ

子どもたちが大人になったと感じた瞬間

今週のお題「二十歳」

 私には21歳になったダウン症の長女と、春から大学進学が決まった高3の次女がいます。

 法律上大人になったのは長女です。長女は進学できず、支援学校高等部卒業後は、就労支援B型っていうことで、お仕事をしてささやかなお給料を頂き、そこからお昼のお弁当代を出し、残りをお小遣いとして使っています。昨年はちょっとしたボーナスもいただきました。

 私たちは、もう少し学生として長女の成長を見ていきたいと思い、先生方のアドバイスを抑えて、進学の道を模索しましたが、失敗しました。障害があっても進学し、職業指導と学習指導を受ける権利はあると思うのですが、進学先はとても限られています。もっといろいろあっていいと思うのですが…。

 長女は少ない給料から、妹である次女に毎月お小遣いをあげています。その姿を見ると、「あー大人になったな」って思います。時々、1000円札と5000円札を間違えて渡してしまうのですが、それをわかっていてもらってしまう悪魔の次女はまだまだ子どもです。

初めて飲んだお酒の味

今週のお題「二十歳」

 我が家は大酒飲みの家系です。特に父の方は酷いです。父は公務員で、7時には家に帰ってきて家族みんなで食事をし、父だけは晩酌をする…という毎日を過ごしていました。職場の飲み会にはあまり参加していなかった父ですが、地域の飲み会にはとっても積極的でした。まあ歩いて帰れますからね。基本けちんぼなんです。

 父の酒癖の悪さを書くと、3回シリーズくらいになるので、まあ今度書くとします。そんな父を見ていたので、お酒を飲むときは注意しよう!と心に決めていました。決して、飲まないって選択はしないんですね(笑)。20歳になってお酒を飲み始めてから、家ではお正月以外は飲みません。なぜって、お酒がもったいないからです。強いんですね私(笑)。

 初めて飲んだ時から「うまい」って思ってしまいました。今心配なのは、春から大学生になる次女です。義父も酒豪で、どちらのおじいちゃんも酒飲みなので、次女は「私は酒飲みになるね絶対。」と妙な自信を持っています。まあそれはそうなんだろうなあと思う私です。

祝!5700アクセス記念!「もう一度見たいドラマ」

お題「もう一度見たいドラマ」

 ありがとうございます🎵5700アクセス越えました。スロットで出てきたのは、「もう一度見たいドラマ」でした。何度目かなあ? しかしテレビっ子だった私は、ドラマは大好きです。今でも新しく始まるドラマの初回はほとんど録画してみて、続けてみるドラマを決めます。まあ出演者でほぼ決めてしまいますが、あまり期待していなかったドラマにはまってしまうことも多いです。そして何より大評判になったドラマほど見ていない…途中で見なくなったりしてしまうんですね。世間と感覚が違うんだろうか?あな番も途中で見なくなってしまって、流行に乗り遅れました。池井戸さんのドラマもいつも途中で挫折してしまう…。

 1月もたくさんのドラマが始まりました。とりあえず初回を見ています。医療系多いですね。最近は遅い時間帯のドラマが面白くて、ライブで見てしまって寝不足何てこともあります。

 小さい頃は、土曜日だけは遅いドラマを見ることができるので、「Gメン75」を見るのが楽しみでしたが、途中で寝ちゃって犯人がわからないってこともよくありました。Gメンをリメイクしませんかねえ?Gメン2020…丹波さんが草刈さんでちょっとスタイリッシュなGメンどうですか?若林さんが…渡部さん?高橋さん?、ドラゴンポストは横浜くんで!女子枠は菜々緒さん?おー見てみたい❗

 

成人式の記憶

今週のお題「二十歳」

 私の頃の成人式は1月15日に固定されており、私は実家のある(当時は大学に自宅通学中)町の成人式で小・中の友だちに会うのをとても楽しみにしていました。

 大雪の中、町民センターで行われた成人式にはほとんどの同級生がやってきていました。私は敢えて振袖ではなく訪問着を着て行きました。結婚しても着られるようにと…。結婚の遅かった私はその訪問着を何度も着ることになります。振袖でもよかったね…なんて。

 そうそう私の誕生日は1月20日なので、成人式の後。しかもうちの町では私たちの代まで、成人する前の年の学年でお祝いするというのが恒例で、私は高校を卒業した翌年の18歳で成人式を迎えたのです。ちなみに翌年は大学のある市の成人式にも出席し、人生で2度も成人式を体験しています。

 19歳の同級生たちの中にはすでに結婚している人もいて、話に花が咲いたのですが、成人式の数か月前、同級生の一人が過剰労働で事故で亡くなっていました。そんなこともあって、喜びきれない私たちがいました。

 2次会は、友人の家でほぼ全員集まりました。お酒は飲めないわけですが、盛り上がりました。でも、最後は亡くなった同級生の分まで頑張って生きようとみんなで誓い合って別れました。本当に温かく優しい友人ばかりです。だから今でもつながっているんだと思います。

 本厄・後厄であまりいいことのなかった私は、実は成人式の直前に留年が決まっていて、恥ずかしい思いを抱えて辛かったのですが、式や2次会での同級生の励ましで頑張れたって思います。私にとって厄落としにもなった成人式でした。

2020年はどんな年になるんだろう

今週のお題「2020年の抱負」

 今年は特別な年です。だってオリンピック・パラリンピックが日本で開催される年だからです。

 1988年にソウルにオリンピックを見に行ったとき、街中にいろんな人種の人があふれていて、会場にももちろん世界中の人が応援に来ていて、自国の旗を振っていました。会場は応援の声に包まれ、体が震えました。特に陸上競技世界新記録が出たときに自然発生したウェーブの波と歓声は今まで生きてきて味わったことのない感触でした。忘れることができません。できればあの感触をもう一度味わいたいし、子どもたちにも味あわせたいと思います。抽選当たらないかなあ。

 これから、大会を引き受ける、おもてなしをする準備が急ピッチで進んでいくことでしょう。ちょっと会場から距離のあるここ山口でも、聖火リレーや合宿地として盛り上がるんじゃないかなあと楽しみにしています。ワクワクです。

 大会後のことも楽しみです。前回の東京大会の時のように大会を機に技術革新が進んでいくといいですね。下向きにならないように祈るばかりです。

 オリンピックでは我が家が大好きな嵐さんも大活躍してくれることでしょう。最後まで、目が離せません。

 2020年がどんな年になるのか、例年にも増してワクワクが止まりません。

2030年までにやりたいこと

今週のお題「2020年の抱負」

 20歳の頃から、10年単位・5年単位・1年単位の目標を立てています。それは、高校卒業してから20歳までの2年間、本当にダラダラと過ごしてしまって、楽しいことしかせずに、留年はするは交通事故はするは、血は吐くはで、とてもまともな大人になれる気がしなかったので、なんか目標を立てて努力する人になってみようと思ったからです。

 ということで、もうすぐ54歳になる私は50代前半の目標をぼちぼち達成しなきゃいけないんですが、ジム通いは週2くらいで実行中で、体調管理はスマートウォッチ任せではありますがぼちぼち。ハングルの勉強の再開は、昨日駅前留学の旨を届け出たところです。

 プログラミングは、年に1回くらい研修に行っている程度で、とても勉強しているとは言い難いので、ちょっと考えないといけません。

 2020年からは、次女が進学のため家を出るので、次女の習い事や通学での送迎もなくなり、自分の時間を調整しやすくなります。時間が余ってくるとダラダラしがちな私の性格上、目標をきっちり決めたいところです。

 退職がいつになるかよくわかりませんが、いずれにせよあと10年ないわけです。2030年には退職しているはず。ということはこの10年で自分は退職後どうしたいか考えて準備しなくてはいけません。私の野望はプログラマ(笑)。実際は何か資格を取って、尊敬する義父のように高齢になってもバリバリ働きバリバリ遊ぶことかなあと思っています。55歳までのあと2年、オリンピック見ながらどうしようか考えようと思います。