応援されることは得意ではないなあ

今週のお題「応援」

 応援することは得意ですが、応援されることは不得意です。照れます。応援されると頑張りすぎて成績が不調になります(笑)

 うちの両親は、運動会には来ますが、部活の応援とか1度も来たことがありません。よくインタビューで喜びを家族に伝えたいとか言っているのを聞いて、若い頃はピンときませんでした。両親から「頑張れ」だとか応援する言葉を聞いたことはほぼないです。両親も言ったことがないなあって言ってましたから。基本個人主義の家族なんです。「優勝したよ」とか「新記録出たよ」って報告したら、「おめでとう。よかったね。」くらいは言ってくれるし、ご馳走を準備してくれたりはしますから、そんなもんだと思って大きくなりました。でも、世の中はそうではないことを知って、たまに人様に応援されると、めちゃくちゃ照れて、頑張りすぎて空回りしますね確実に(笑)。

 今は、応援されるとちょっと頑張れるようになりました。すいかの種飛ばし大会で、長女に「がんばれーーー」と大声で声援を送られたときはかなり恥ずかしかったですが、大会新記録で優勝することができました。声援は力になることを実感しました。それからは、声を出して応援しようと思いました。4年前のことです(笑笑)。

 長女はフライングディスク・テニス・水泳・ボーリング・ダンスといろいろなことにチャレンジして声援を頂いています。もちろん私も大声援を送っております。次女も春からもサークルに入って楽しみたいって言ってます。私はロボコンに出てほしいって懇願しているんですが、なかなか首を縦に振りません。応援したいのに…。

 

マネージャー気質

今週のお題「応援」

 私は小さい頃から体を動かすことが好きだし、スポーツ観戦が好きです。高校時代は男子バスケット部のマネージャーをしていました。遠距離通学の私は、自分がスポーツすることは諦めて、縁の下の力持ちとして、応援する側に回りました。それはとても大切な経験になりました。それまで、自分の事だけで精いっぱいだった私が選手のために、部活のためにと動くことを覚えたことが、私を成長させてくれました。

 私のマネージャー気質が遺伝したのか、高3の次女も野球部のマネージャーとして3年間頑張りました。そして今年はオリンピック・パラリンピックのボランティアとしてたくさんのアスリートを間近で応援できることを楽しみにしています。昨日は福岡で研修会がありました。担当が決まるのは3月だそうで、ワクワクが止まりません。私はそんな娘が羨ましくて羨ましくて…。

 あーーーオリンピックを間近で見て応援したい!!

 

私の勉強法

 私は正直言って勉強が好きです。それに気付いたのは、大学2回生の時でした。留年しておいてそれはないだろうと言われそうですが、大学に行けば好きな勉強ができると思い込んでいた私は、苦手な語学をおもいっきりないがしろにしていたために、留年してしまったのです。留年が決まった時、反対を押し切って進学した私は、退学を覚悟しました。でも、涙が止まりません。どうしても勉強が続けたかったのです。自分の好きな勉強が2年生になり始まって、自分が勉強が好きなのだと、学ぶことで自分が成長していくことを実感するタイプなんだと認識し始めていました。両親を説得して学費はすべてバイトで賄うことにして学業を続けることができました。留年後はほぼ”優”で、学務の方に「どうして留年したの?」って笑われました。

 勉強が好きになれば、学ぶことが好きになれば、勉強は苦になりません。趣味になります。小さいころから好奇心旺盛でいろんなことに興味を持った私は、そんな私に育ててくれた両親にとても感謝しています。貧しいながらもいろいろな体験をさせてくれて、習い事にも行かせてくれました。娘たちも勉強が嫌いにならないように育てたいと思っていました。小さいころから、知的好奇心を大事に、経験や体験を重視して子育てをしてきました。そのせいか、二人とも勉強を苦にしません。楽しんでいます。「勉強しなさい。」と言ったことも言われたこともありません。

 私の勉強法は、知的好奇心を大事に、勉強を目的にしないことだと思います。何かを始めればきっと自分が成長するはずと信じて、苦手なことにもチャレンジして、もちろん大好きなことにも取り組んできました。実を結んだことより、そうでないことの方が多い気もしますが、意外な時にその経験が役に立ったりします。これからもいろんなことにチャレンジを!

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2000スター記念♪ 私のスター⑳

 ときどき忘れながらも、100スター集まるごとに続けてきた「私のスター」です。切りよく2000スターを記念して、私の音楽界のスターについて書いていこうと思います。

 私の音楽との最初の出会いはどうやらピンキーとキラーズさんの「恋の季節」らしいです。小さい頃これを歌って両親や祖父母、近所の人たちを喜ばせていたそうです。リズムに合わせて踊りながら歌っていたようです。

 小学生になって、天地真理さんやピンクレディーさんを口ずさむ普通の女子でしたが、そんな私に衝撃を与えたのが、ノーランズの「ダンシングシスター」です。意味は分からなくても耳コピで完全再現していました。「英語かっこいい!」って憧れました。

 中学生になって、久保田早紀さんの「異邦人」やヤマハポプコンの影響で作詞作曲をするようになりました。でも、初めて買ったアルバムは山下久美子さんの「バスルームから愛をこめて」でした。声フェチは昔からで、声に特徴のあるアーチストさんに弱いんです。山下さんはとってもかっこいい!!って思ってました。

 とここまで、安全地帯・稲垣潤一と男性アーチストも聞いてはいましたが、女性アーチストばかりを追いかけていた私を変えたのは、久保田利伸さんです。「流星のサドル」を聞いたとき、この人は日本人なの?すごい!と速攻でアルバムを買いに行きました。BUCK-TICKさんやANTHEMさんを聞くようになり、嗜好が変わってきました。

 今は、[Alexandros]さん、Suchmosさんをよく聞きます。もちろんジャニーズやK-POPも聞きますが、1人の時は、[Alexandros]さん、Suchmosさんのアルバムを聞いてます。すっかり女性アーチストを聞かなくなりました。

 ですが、カラオケではミーシャさんやJUJUさん、中島美嘉さんを歌います。しかし、最近は嵐さんの曲を変調してテンポ変えて歌うのが好きです。島津亜矢さんみたいに…。上手じゃないですよ決して、次女にはかなり酷評されます。最近行ってないなあカラオケ。一人カラオケにでも行くかなあ。

私の勉強法(語学 その2)

 語学に対する苦手意識がかなり強かった私にとって、新しい言語を学ぶことはとても決心のいることでした。でも当時の私は、「オリンピックで全日本(バレー)を応援したい。」という気持ちが強く、1人で行くことを決めていたので、文字くらい読めないと困るだろうなという気持ちで、バイト代をはたいて、カルチャースクールのハングル教室の扉をたたいたのでした。

 当時私は大学3年生。講師はなんと同じ学部の留学生でした。メンバーは20歳の私以外は、県庁に勤める方が2人と自営業の社長さんが2人という5人でした。1年半はそこで勉強して、ハングル教室が閉鎖することになりました。そこで、県庁にお勤めの2人の方に誘われて、講師である留学生(3人先生が変わりました)のお宅に伺って勉強を続けることになりました。

 先生は私の大学の留学生会館に住んでいました。大学が終わって通うにはこれ以上ない好条件(笑)。その後職場も大学から5分だったので、結局7年間教わることになりました。

 先生のお宅に行ったら、雑談も全部ハングルです。1人ずつ1週間にあったことや、何かテーマを決めて、レポート用1枚にまとめた作文を声を出して読みます。毎週このレポートの宿題が大変でした。まず日本語で作文して、ハングルに直すんです。今なら翻訳ソフトでスイスイできますけど、あの頃は、辞書を引き引き大変でした。

 発音や文法が訂正され、レポートは赤ペンで真っ赤になって、韓国の文化や暮らしについての話をしながら、1時間のレッスンが終わります。これを5年続けたおかげで、ある日、夢をハングルで見ていたり、偶然聞いたラジオのハングルが普通に聞き取れたりするようになりました。

 あーーー私の英語や中国語の勉強は大間違いだった。私の耳を大いに生かすべきだったんだ!と気づいたのは随分後のことです。私と同じ失敗を私の遺伝子を持つ子どもたちにさせてはなりません。私は次女を3歳からネイティブの先生のいる英語教室に入れて、今でも教室を変えながら(ここ大切です)、18歳の今日まで英会話を続けています。「他のお稽古ごとはやめて構わないけど、英会話だけはずっと続けてね。」と言ってます。

 語学習得の方法は人それぞれですが、我が家の場合は、良い発音を聞いて、どんどん使って習得するのが性に合っているみたいです。次女は決してペラペラしゃべるわけではないのに、海外に行くと発音がいいとか、聞き取りがとてもよくできていると言われるそうです。テストの点数はほぼリスニング(笑)。

 生まれ変わったら、英語を基礎からやり直したいです。今からでも…いえ、私はハングルの勉強を再開することに決めました!頑張ります!!

 

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私の勉強法(語学 その1)

 小学生の頃思っていました。中学生になって英語の勉強が始まったら頑張って修得して英語の歌が歌えるようになりたいなあって。小学生の頃、ノーランズだったりサイモン&ガーファンクルだったりを耳コピして歌ってたあの頃…。

 中学生になってNHKの基礎英語を毎日聞いて、耳コピしていたので、読んだり話したりは大好きでしたが、テストはさんざんで、中1の中間テストこそ100点でしたが、それ以降はすごい速さで落ち込んでいきます。「どうしてこんなにできないんだ!」と英語が得意な同級生を観察すると…行ってました!塾に行ってました。しかし、経済的に塾に通わせては貰えず、基礎英語→続基礎英語とNHKにお世話になりました。

 高校生になって、英語の落ち込みはさらに深刻になりました。他教科の高得点を取り込んでも余りある落ち込み方で、友人の多くが、「どうしてそんなにできないの?」と言っていました。根本的に勉強法が間違っているじゃないかと、塾行ったら?とよく言われましたが、やっぱり経済的に難しかったのと、父の「英語はできなくて大丈夫。日本人だから。」という訳の分からな理論に悩む私でした。

 大学生になってからも、英語も第2外国語の中国語も私の人生を狂わせました。留年した原因ですね。バレーの追っかけの為、ソウルオリンピックに向けてハングルの勉強を始める際もとても不安でした。語学の才能がない事を信じて疑わなかったからです。

 そんな私は、それまでと全く違う語学学習に出会うことになります。(つづく)

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私の勉強法(資格取得)

 高校が商業科で、仕事でも資格取得をずーっと指導してきました。思えば、高校時代は、1年の冬には同級生が3級を受けた簿記の検定で、2級を受けました。希望者が放課後の課外を受けるという形でしたが、間に合わなくて、昼休みも20分間課外を受けるという、たった2か月で1年分の勉強をさせられました。短期集中型の私にとってはそれがよかったと思います。

 当時は男子が工業簿記の授業を受ける時間に女子が家庭科の授業を受けていました。簿記の1級を取得するには工業簿記を学ばなくてはいけないのに、授業では学習できないのです。「それは不公平ではないですか?男女差別じゃないですか?」なんて先生に言いに行ったら、翌日から昼休みに先生が教えて下さることになりました。4か月ほぼ毎日です。まったく迷惑な生徒です。でも、おかげで1級を取得することができたのです。毎日20分、短くても続けることが、私の性格に合っていたのでしょう。

 もう一つ私が資格取得の時にやっていることは、やはり過去問の攻略です。3年から5年分の過去問をまずやってみます。できなかった問題をやり直してコピーするか写し書きして、満点取れるまでやり続けます。もう問題文おぼえるくらい。工業簿記を受験したときは、全く理解が間に合わなかったので、5回分の過去問を丸覚えで受験しました。結果的には98点…。1年かけて授業でやった会計は80点ギリギリだったことを考えると、このやり方が自分の性格に合っていたんだなあと実感します。

 英語検定(商業高校の)も、過去問を5回分飽きるくらい繰り返して、実力以上の1級に合格してしまい、クラスでは英語が得意な人扱いになってしまいました。実際は定期テストでいつも欠点ギリギリなのに…。

 このやり方で使っていたのは、ルーズリーフです。3分の1くらいのところを縦に折って、左に問題をコピーしたものを貼ったり、書き写します。1枚に1問にしておくと捨てられるので便利です。右3分の1に解答を書いて、その部分を折って、再チャレンジします。正答できたら、そのページは捨てます。できた問題は振り返りません。これで、全部解けるようになったら、もう一度全問チャレンジします。やっぱり間違える問題がありますが、初めての時よりは減っているはずです。また、繰り返してすべて一発正答できるようになるまで繰り返します。3回から7回くらいでそうなります。

 1回目は泣きそうなくらいやり直しが多いのですが、だんだん解けるようになって、出題の癖とか、ローテーションとかわかるようになって、「またこれか~」って感じになります。自分の失敗癖もわかります。

 ただし、このやり方は試験の傾向や範囲が変更されたりすると痛い目にあいます。情報処理の第二種を受験したときに失敗しました。情報収集は大切です。

 私は、分厚い参考書や問題集をコツコツ解いていく、積み上げていくという勉強法は苦手みたいで、大抵は挫折してしまうのです。出題パターンにいきなり当たって、出る問題を習得するこのやり方が性に合っているみたいです。あまり人には勧められませんが…。

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