明日はないかもって思いながら働いたこと。(その1)

 自分が結婚するなんて思いもよらなかった私は、30歳のとき決心して、夜間の大学の3年に編入学しました。もともと経済学部を卒業し、教員免許を取ったのですが、実際教えているのはプログラミングやCGで、知識のなさというか、次に教える事を学びながら、手探りで教える日々はとてもストレスでした。そこで、実際教えている事をきっちり学び直そう!と工学部の編入学試験を受験し、どうにか合格しました。

 毎日5時まで働き、車で15分の大学に登校し、9時ちょっと前まで勉強する日々でした。朝4時に起きて出勤するまでが短い勉強時間でした。それでも1年でほとんどの単位はとってしまっていて、4年ではほぼ卒業論文を書くだけでした。

 夜間の大学に行くまでの私は、7時くらいまで学校で仕事をした後に、趣味の水泳やハングルの勉強をしていて、進学後はその時間を勉強に充てた感じでした。仕事をできるだけ効率的に、的確にスケジューリングすることで、どうにか時間を作っていました。もちろん同僚の先生方や管理職の特に校長の理解があったことはとてもありがたいことでした。今でもとても感謝しています。

 まだ、若い頃だったので、職場でそれほど責任のある仕事を任されることはなかったのですが、担任は外れてしまって(当たり前ですね5時までしかいないんですから)、寂しい思いをしました。校内人事でも迷惑をかけたのではないかと思います。

 あの頃の自分の働き方というか、時間の使い方を振り返ってみると、独身だからできたことだったと思います。進学を決めたとき、実父は大反対でした。「かっこつけるためにするんだったら、すぐにやめなさい。」と言われました。当時は理解に苦しむ言葉でしたが、今は、仕事と勉強の両立というのは、個人の力だけではなく、周りにも少なからず迷惑をかけることで、よく思わない人もいるのだということを、父は教えてくれていたのだと思います。

 当時30歳で受験を決心し、31歳の4月から、働きながら学ぶ道を選んだあのときが私の最初の「転機」だったと思います。もちろん、卒業後自信を持って指導できるようになり、その後通信制大学で「情報」の免許を取り、修士をとり、今の自分につながっていると思います。